« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »

2015年1月

2015年1月29日 (木)

その後

もう、数年前の話だが、
全国の主要な灯台350余基を5年かけて一巡した。
佐渡島、淡路志摩、沖縄本島、小豆島、を含めて日本列島の海岸線を一周した。
そのうち、佐渡・北陸の灯台めぐりと東北6県の灯台めぐりに際しては、、
朝に下関を発って、夜には新潟に着いている。 二回も。
家人を伴った信州旅行では、
下関を早朝に発って、夕方には上越JCTを経由し、上越道の信濃町に着いている。

自慢にならないが、
過酷な運転が苦にならないだけの体力はその当時の肥満した体に蓄えていた。
少々の事では音をあげない私だったのだが、この26日は疲れた。
博多からの帰り道では、嫁のご両親から頂いた手土産さえも、ズシンと重かった。
数年前の肥満体が今は 「やや肥満体」 となったが、
そのために体力を蓄える容積が減ったわけでもあるまいに。

やはり、嫁のご両親に初対面、というので緊張したのだろうか。
息子と嫁から、ご両親の人となりはおぼろげ」ながら聞かされていたが、
実際にお会いしてみると、思い描いていたイメージは全くの幻だった。
そもそも、初めて息子が嫁を連れて帰って来たときも、
嫁は、想像豊かに膨らませていたイメージとはずいぶんと異なっていた。

嫁が、イメージとはどんなに異なろうと、息子が気に入ったのならそれが全てで、
またご両親が、イメージとどんなに異なろうと、
息子の新居のほど近くに住む義理の父親・母親が好い人なら、それでいい。
ただし、昔ほどの付き合いの深さと濃さは無くなったのかもしれないが、
二人が結婚すれば、両方の家の繋がりも始まる。
嫁と初めて会う時はわくわくして、初対面の瞬間を待ったものだが、
そのご両親と初めて会うとなれば、未開の地に分け入る探検家みたいな心境も伴う。
子を見れば親が分る、とは言うけれど。

ただ私のこれまでの人生では、
ヒジョ~に高い比率で、好い人と出逢い好ましくない人とは出逢わなかった実績があって、
それは今回も当てはまった。
なにも心配することではなかったのかもしれないが、
それは結果論であって、疲れたと感じたのはホッとした安堵から生じた脱力感か。

中一日置いた昨日からは平常に戻っている。
26日の朝、出かける前に剃った鼻髭は急には伸びないが‥‥。
気がかりなのは、
年の暮れからの一ヶ月、美味いものにありつく機会が多くて過食気味で、
最肥満時から10kg減の77、,5kgまで落ちた体重は、現在79kgあたりだ。
食事の量を少し減らしてし、四王司登山に積極的に取り組もう。
とか言いながら、2月4日には嬉野温泉でカニの食べ放題を計画している。
カニが美味いのは喉に落ちるまでだから、食べたら吐いて、また食べようか。
これだからビンボー人はいけない。

2015年1月27日 (火)

赤マルから花マルへ

1月26日は一人息子の誕生日だ。
我が家では次の年のカレンダーが手に入ると、その日に赤マルが付く。
今年の正月に帰省した 「息子たち」 から、
その日が、誕生日に加えて、もう一つ別の意味合いを持つことになる、と知らされた。
戸籍法第74条に規定されている婚姻届書を提出するというのだ。
それを知らされて、1月26日の 「カレンダーの赤マルは花マルに」 変わった。

ホテル日航福岡で、婚姻届書の証人欄に署名・捺印。
祝いの膳を囲んだ後、息子たちは区役所に届書を提出しに行った。
婚姻届は即日発効だから、昨日を境に息子を筆頭者とする戸籍が新たに作られた。
息子の親離れはとっくに済んでいるが、
これで名実ともに私たちのもとを離れたことになる。
そうは言っても、いつまで経っても親は親で子は子だから、親子の縁は未来に続く。
親としての責任も、息子たちへの支援も永劫に続く。

息子の結婚については、
何時、何処で、誰と出逢い、どこでどのような結婚をしようと、
全て、息子の自覚と責任を条件に、息子の主体性と主動 (≠主導) に任せていたが、
親の経済力の乏しさを慮ったのか (笑)、世間で行う結婚披露宴は、無し。
かつて、総合結婚式場で支配人を任された経歴を持つ私にとって、
自分の子供の結婚披露宴がないというのは、なんとも‥‥。
披露宴の終わりに両家を代表して述べる謝辞は3通り用意していたのだが‥‥。
ま、時代が変わったということ、か。
時代が代われば、生き方も考え方も変わる。
要は、息子たちがそれで幸せならばそれでいい、ということだろう。

息子たちが区役所に行っている間、近くの酒屋に寄った。
一本買った。
Vosne-Romanee 2009 Philippe Charlopin Parizot
「次回のエキストラワイン会に持参するワインだ」 と家人と息子たちには話したが、
来年の正月に、息子たちが帰ってきたら抜栓するつもりだ。
これから毎年一本ずつ結婚記念日に買って一年寝かし、次の正月に飲むことにしよう。
息子はワインを嗜まず、ウイスキーと日本酒、焼酎に逃げてしまったが、
息子の嫁は大のワイン好きだ。 これはとても嬉しいことだ。

息子たちの新居も見に行った。
半年以上も前に買ったのに、昨日まで見せようとしなかったマンションだ。
息子が自分で賄える範囲で買ったマンションだから広くはないが、
快速が停まる駅の近くでの物件なら満足すべきか。
賢い買い物をした、と褒めてやっていいだろう。

息子の嫁も、昨日初めてお目にかかったそのご両親も、とても好い人で良かった。
これ以上、何を望もう。
これに尽きる。

2015年1月24日 (土)

キャタピラン

靴には、用途によって様々な種類があるが、
一つの分類をすると、靴紐(くつひも) を使うか使わないかで分けられる。
靴紐がある靴は、基本的には、
靴を履くときには靴紐を結び、脱ぐときは靴紐をほどく。

ところが、靴紐を結び、ほどくという手間は案外煩わしいものだ。
登山靴や激しいスポーツの運動靴、危険を伴う作業靴にこの手間は省けないが、
通勤用の靴や、ちょっとしたウォーキングシューズなどでは、
この手間が省けるものなら省きたい。
だから、靴紐を緩く結んで、出来ることなら靴ベラも使わずに着脱できるようにしている。

しかし、靴とは厄介なもので、靴紐を緩く結べば足首で固定できないために
靴が屈曲した時に踵(かかと) が浮いてしまう。
これでは、靴を履いたフィット感が無くて、履き心地としてはすこぶる悪い。
靴を履いたり脱いだりするときにズルをしてるのだから仕方がないか、と思っていたら、
3.4日前のTVで 「結ばない靴紐」 が紹介されていた。
「結ばない靴紐」 の商品名は見逃したが、ABC-MART という取扱店だけは記憶に残した。

昨日、幾つかのショッピングモールに見当をつけて ABC-MART を探したら、
2つ目の YUMECITY に見つけた。
売り場で店員さんに 「TVで見たんだけど」 まで言ったら 「靴紐ですね」 ときた。
やはり、TVの影響力というのは凄い。 脱帽だ。
一つ買った。 千円で20円のお釣りがくる。
長さは50cmと75cmの2種。 色は相当にある。
商品名はキャタピラン という。

さっそく、朝トレで使うウォーキングシューズの靴紐と取り換えた。
紐穴に通すのが厄介といえば厄介だが、慣れた頃には終わる。
履いてみた。
シューズ内で踵が浮いてしまうのを 「スリッパ現象」 というらしいが、
それを防ぐために足首周りを固定しようとすれば多少の窮屈さはある。
靴ベラを使えばスムースに履けるが、靴ベラうを使うまでもない。
歩いてみた。
キャタピランは伸縮素材だから足型にぴったりとフィットしている。
大袈裟にいえば、裸足で歩いている感じだ。
こんな素晴らしい履き心地と歩きやすさを知らずに、今まで生きてきたんだ!
パッケージには控えめに 「新しい発想、それは快適を生む」 と印刷してあるが、
この商品に関して、それに偽りはない。
久し振りに納得がいく、いい買い物をした。

Dscf7360

PK戦まで戦ってベスト8どまりだったサムライブルーも、
サッカーシューズの靴紐をキャタピランに代えておけば、
裸足感覚でボールが蹴れて、負けずにすんだかも‥‥。
ま、試合だから、勝つときも負けるときもある。

2015年1月21日 (水)

暖かい大寒

昨日は二十四節季でいう大寒だった。
一年で最も寒い時期ということなのだが、もとより、
実際と3週間もずれのある二十四節季など、葡萄舎暦がある私には無縁だが、
案の定、寒さが和らいで、3月上旬の天気だった。

今朝はもっと暖かかった。
気温はともかく、風が止んだのが大きい。
火力発電所の大煙突から吐き出す煙は、昨日も今日もまっすぐ上に昇っている。
6時15分に乃木浜に向けて出発し、
6時半から7時半まで朝トレをして、家に帰りつくのが8時、
というのが12月後半からの私の行動パターンで、服装も毎日同じだ。
今朝の暖かさは、
着ている厚手のセーターを薄手に変え、履いているタイツを脱ごうか、というほどなのだ。

そうは言っても油断は禁物。 冬の手強さは一筋縄ではいかない。
あと十日もすれば、衣をさらに重ねて着る如月(きさらぎ) だ。
しびれるような寒さは往々にして2月に訪れる。
葡萄舎暦では、冬と春の境目は春分の日だから、
春まで、あと2ヶ月は待たなければならない。 これからが冬の真っ盛り、となる。


昨日のオーストラリアでの試合で、錦織圭とサムライ・ブルーが順当に勝って、
今朝の新聞はいい気分で読めるはずだったのに、
中東からの腹立たしいニュースが紙面を埋めている。

安倍晋三が、父親の晋太郎氏が外相時代に歴訪した国の数を上回りたくて、
盛んに外遊を重ねている。
国家財政は未曽有の大赤字を出しているのに、
行く先々で気前良く財政援助の手形を乱発している。
その足元をすくう形で、
「イスラム国」 は人質の2邦人の殺害を予告し、2億ドルを要求してきた。

安倍晋三は、人命尊重を掲げ、人質の解放を目指すと約束したが、
混迷のシリアから大使館を引き揚げるような日本外交に、
果たして打つ手はあるのか。
首相官邸の危機管理能力が試される事態になった。
異教徒を十字軍に見立てて聖戦(ジハード) を挑む 「イスラム国」 に、
日本の理念は通じまい。
日本国トップも、趣味の外遊が高いものについたと ほぞ を噛んでいるだろうか。
あの坊ちゃんに、そんな繊細さを要求しても無理、か。

しかし、自分の勝手で紛争地に出かけて行く人たちにも困ったものだ。
本人には崇高な理念があるのかも知れないが、
拘束されて、人質になって、取引の材料にされたのでは国民はかなわない。
2億ドルといえば、納税者一人当たり300円だ。
しかも、これで最後ではない。
あの地域には、勝手に渡航した日本人が相当数居る、という。
人質予備軍はいくらでもいるのだ。
日本政府として、渡航制限などという甘っちょろいものではなく、
特定の地域では、邦人保護の責任を持たない、と明確にすべきだ。


一昨日の家人の作品。

Dscf7357

2015年1月19日 (月)

東奔南走

一昨日は東に走って秋穂の 「しらい」 で三八会の新年会。 
海老の食べ放題。
「しらい」 では、海老の食べ放題は10名から受け付けるのだが、
無理を言って、なんとか9名で承諾を得ていたのに、当日になって1名欠席。
9名は確保するし、保証すると言った手前、1名分のキャンセル料を覚悟していたら、
請求金額を見たら8名分だった。
私の気に入った店だし、今後も利用したい店だから、
食材原価に見合う程度の金額を渡して帰った。

私の人生を振り返ると、なんだかんだと人の手配をする役割が回ってくる。
必要な人数を集めて揃える役割だが、
必要な人数をピタッと揃えるのは意外と難しい。
伊豆のホテルにいた時は、
各客室階に掃除や布団敷きのパートさんを配置するのが私の仕事の一つだったが、
何度も、一人足りない、という場面に出くわした。
出勤できないパートさんが、それぞれに事情を連絡してくるのを聞いていると、
何故かしら、法事があるから、というのが多い。
世間では、こんなに法事が多いのか! と驚いたものだ (苦笑)

「しらい」 では一つの実験を試みた。
家で寿司飯二合分の 「寿し酢」 を作って持参したのだ。
食べ放題の会場にはジャーに入ったご飯があるから、それで寿司飯を作り、
焼き海老を刻んでもらい、渡りガ二の身をほぐし、サラダのキュウリを刻んでもらい、
ちらし寿司を作ったのだ。
8人に配れば飯碗にわずかずつしかないが、
食べるだけ食べたあとでのちらし寿司だから量的にはそれでいい。
大受け、だった。

昨日の朝帰ってきたが、胃の腑から海老の残香が漂うみたいなので昼食は抜き。
片道1時間余の運転など疲れるほどでもないが、
何かしら疲労を感じるのは食べ疲れたのか。
3・4時間仮眠して、今度は南に走って北九州の八幡の 「アクアビータ」
葡萄舎騎士の会の月例会だ。

集まったワインは

DUBL Falanghina Spumante Brut N.V. Feudi di San Gregorio

Bodegas Ximenez-Spinola S.L. Exceptional Harvest 2011
Anselmi San Vincenzo 2009 Veneto
Miner 2007 Simpson Vineyard California

Finca Villacreces Pruno 2011
Masciarelli Marina Cvetic 2005 Montepulciano d'Abruzzo

目先の変わった、面白いワインが揃った。
ソアベを名乗りたくないソアベもあったし、シェリーっぽい白も。
アクアビータはいつ行っても結構な料理を提供してくれる。 美味い。
安心して任せられる店だ。
八幡までは遠いが、遠くても行きたい店だ。

2015年1月17日 (土)

飽食

今朝の4時過ぎ。 天窓越しに明けの明星を眺めることができた。
それから2度ばかり、通り雨らしきものが激しく天窓を叩いた。
5時には東の空に、月齢26日で随分と細くなった月が浮かんでいた。
天気予報通りに、吹く風は冷たく強い。 10m/秒 くらいか。

6時15分、防風対策だけはシッカリとして朝トレに向かった。
2km進んで、長府駅前で雨が降り始めた。
更に4km進んで乃木浜総合公園に着いたら本降りとなった。
10分ほど待機したが。雨脚は衰えず、
使い道のない干拓地に造った乃木浜総合公園は吹きっ曝しで、風が強いことこの上ない。
雨天用の運動靴に履き替えるまでもなく、すごすごと退散。

ところが、長府駅前まで引き返したら雨は降っていない。
私より早く、5時半に家を出て1時間のウォーキングを終えた家人は、
ほとんど濡れなかった、という。
それはそれで幸運だったと喜ぶしかないが、なんという天の差別!
家人のウォーキングコースは私と反対方向の関門海峡が望める場所だが、
同じ長府で、こんなにも天候が違うものなんだ。
しかし、朝トレを始めて5ヶ月、断念して帰ってきたのは今朝が初めてだ。

太陽が顔を出した10時には、家人と同じウォ-キングコースを私も歩いたが。
最近、毎日1時間程度歩かないと、どうも体の調子がしゃんとしない。
お陰で、しばらく胡坐(あぐら) が組めなかった私が、この頃では胡坐が組める。
歩かなかった頃は、股関節が錆ついていたのだろう。
歩くことは最も安上がりな健康法だ。


今夜は三八会の新年会。
秋穂の 「しらい」 で海老の食べ放題だ。 一泊2食。
「しらい」 では、海老の食べ放題を設定している日曜日と火曜日以外の日は、
10名以上まとまらないと海老の食べ放題をさせてくれないのだが、
無理を言って9名で用意してもらった。
そういえば、騎士の会で利用した時も9名だった。
それも、おとな8名、幼児1名で。
こんな私は 「ごり押しをする困った男」 として通っているのかもしれない。

私が知っている人で 「海老の踊り食い」 が好きな人が居る。
好きというだけあって、海老を捌くその手際のみごとなこと!
好きこそものの上手なれ、とは言うが、ただただ感嘆するのみだ。
今夜もまた、無言で海老を捌き、頬張ることだろう。
私がカニを食べるときに無言になるように‥‥。

明日の夕方は北九州の八幡で葡萄舎騎士の会。
今度はイタリアンだ。
飽食が続くと、シッカリ朝トレを続けてフォローしなければ、
せっかく77kgが狙えるところまで減量した体重がリバウンドしてしまう。
運動量が足りなければ、とっておきの四王司登山という手もある。
かくして私の体重は、差し当たっての目標である70kgに近づく。
そろそろ腹筋運動も始めようか。

2015年1月15日 (木)

流氷

三・四日前の北海道からの季節の便りが新聞に載っていた。
オホーツクの沖合に流氷が出現した、と。
流氷がアムール川河口から北海道沖まで流れて来た距離と時間を考えれば、
北海道のオホーツク海岸に漂着するのにそれほどの日数は要すまい。
いよいよ、流氷観光船で網走港のオーロラ号、紋別港のガリンコ号の出番だ。

夏の紋別に立ち寄った際に、聞かずもがなの愚かな質問をした。
「この街で一番の目玉は?」
私を旅行者だと見てとった地元の人は、
「そりゃ、流氷ですよ。 あれが一番だ」 と。
いいのは分かってる。 
ただ、私は軟(やわ) い人間だから、厳冬期の北海道に臆して訪れないでいるのだ。

紋別と網走の間、というよりも網走の外れには能取岬があり、
私が訪れた350余基の灯台の中で一番好きな能取岬灯台がある。
灯台はオホーツク海に突き出た岬にあるから、周囲の海は当然流氷に閉ざされる。
船は航行できないから、流氷が去るまで灯台としての役目はない。
それでも、日没から日の出まで灯りを点すのだろうか。

流氷は、氷同士がぶつかり、こすれあうと大きな音を発すると言う。
氷で閉ざされた海を照らす灯光を見ながら、流氷の音を聞く。
能取岬灯台が一番好きな灯台なら、
そんな厳冬期にも訪れてみたいものだが、多分、死ぬまで果たせないだろう。

今夏の北海道訪問は、短期間になりそうで、
一昨年、昨年の様に家を借りて一か所に滞在することはない。
SARAY 号で車中泊を重ね、パークゴルフ場で旅打ちを続ける。
パークゴルフにうつつを抜かしながらも、道中での能取岬灯台訪問は欠かせない。
オホーツクの海岸には、もう一つ好きな灯台がある。
北見神威岬灯台。
放牧場の緑したたる牧草に囲まれた能取岬灯台は、どちらかといえば女性的だが、
荒々しい岩肌の前で、オホーツクの海を睨んで立つ北見神威岬灯台は男性的だ。
この二つの灯台が3時間の距離にあるから、
北海道に行けば、オホーツクの海岸を走りぬけることになる。


5ヶ月間、欠かさずに続けた朝トレのご褒美に、
体重は10kg減り、血液検査の数値は大幅に改善された。
昨日、主治医は2種類の薬を処方箋から削った。
薬局の薬剤師も 「運動の賜物です」 と。 素直に、嬉しい。
自作自演のお祝いに、二晩続けて寿司飯を炊いた。
〆鯖と海老を買って押し寿司に、雲丹を買って軍艦巻きに、余った寿司飯は稲荷寿司だ。
ご飯も寿司飯にするとよく食べれる。
よく食べても体重は増えない。 体質も改善されたのだろうと判断している。

昨日、数年振りで眼鏡を新調した。
曇りのないガラスは、当然ながら、よく見える。

最近の家人の作品。

Dscf7353

2015年1月12日 (月)

首の皮一枚のコカコーラ

昨11日は博多の森・レベスタ までトップリーグのラグビー観戦に行った。
リーグ戦の最終節くらいは観に行こう、と思ったからだが、
今季 (も)、コカコーラ・レッドスパークスの戦績は極めて悪い。
最終節を待たずに下位リーグでの6位が決まっていて、
リーグ戦が終われば、地方リーグの上位チームとの入れ替え戦に臨む。
来季につなげるためにも、最終戦くらいは頑張ってほしいところだが、
後半の序盤に逆転するのが精いっぱいで、終わってみれば22-38の負け試合。
下位リーグトップのリコーの力を見せつけられた試合だった。

この試合に先立って、地元の宗像サニックスが戦ったが、
終盤の猛追及ばず敗れ去った。
宗像サニックスは最下位。 自動降格だ。
これでトップリーグへの昇格・降格を3度繰り返すことになる。
下位リーグでは元気なNTTドコモが、圧倒的な動員力でファンがスタンドを埋めるのに、
地元の宗像からの応援はまばら。 まるで、アウェイだ。
5本の大漁旗が打ち振られても、ものさびしい応援風景だった。

この、コカコーラとサニックスは1月4日に博多の森・レベスタで戦っている。
年末の戦いぶりから、コカコーラの楽勝と思って観に行かなかったが、
弱い者同士の福岡ダービーではサニックスが勝ったのだ。
私はこの試合が八百長臭くて仕方がないのだ。

コカコーラの6位は既に決まっている。
サニックスと豊田自動織機が最下位争いをしていて、勝ち点で並んでた。
最下位は、即、自動降格するから、
コカコーラとしては、サニックスを最下位にはしたくない (のだと思う)。
九州のラグビー界を盛り上げるため、が大義名分。
勘ぐれば、九州同士の対戦なら旅費も安上がりだ。

昨日の試合を終えた最終結果は、サニックスと豊田自動織機は同じ勝ち点で並んだが、
得失点差でサニックスが及ばず、最下位と自動降格が決まった。
コカコーラは入れ替え戦の結果次第で残留か降格かが決まる。
地方リーグとの力の差は歴然だから、よもや負けて降格ということはあるまいが、
試合はやってみないと分からないから‥‥。

コカコーラも降格するとなれば、九州からトップリーグのチームはなくなる。
地方リーグから九州電力あたりが昇格してきたとしても、
この九州電力というチームが、また、弱い、ときている。
首の皮一枚でつながっているコカコーラに期待するしかない。
網走の夏合宿まで応援に行っているのだから、
ちょっとはピリッとしろよ!

Club Vendange 新年会

Club Vendange の今年の新年会は1月10日。
会場は今年も下関GH、5階の Bleu Fonce で。

幹事のN氏がセレクトしたワインは6本で総額14万円余。

Louis Roederle Cristal Brut 2002 Champagne

Puligny-Montrachet 1er Cru Les Folatieres 2006 Dom. Leflaive
Ermitage ex Voto 2009 E. Guigal

Pommard Les Vaumuriens 2007 J.F.Couche-Dury
Ch. Palmer 1995 Margaux

Ch. de Fargues 1998 Sauternes

新年会のワインとしては申し分なしのリストだが、
N氏が幹事をする時は、当然、氏が大好きな d'Yquem を用意すると思っていたが、
かなり遠慮したみたいだ。
繰越しの余剰金があるのだから、もう2万くらい使ってもよかったのに‥‥。

Bleu Fonce の料理長は、
私が顔を出す時の料理には必ずフォアグラを使ってくれる。
私がフォアグラ好きだと知ったのか、それとも偶然が続くのか。
知ってくれての心遣いなら嬉しいし、偶然ならそれが続くことを願うばかりだ。

来年の幹事はK氏。 
来年の幹事を決めるときに、私がチラッチラッとK氏を見たらしくて、
それを 「貴方がおやりになったら?」 と言ってるように受け止めたから、とおっしゃっていた。
K氏は下関では質量ともに1,2を争う蒐集家だから、
どんなワインリストを作るか今から楽しみだ。

次月の月例会会場はマツモト。
最近2度ばかり使った 「B」 も候補に挙がったが、
別件で 「B」 に予約をしようとしたときに、客単価を下げたくない、などと高姿勢だった、
と話したら、「じゃぁ、B は無しだ」 と一決。
私と同様の想いを、別の機会にワイン界の大御所も抱いたという。
私がもう使わない、と決めても大した影響力はないが、
大御所までもがもう使わないと決めたら、「B」 の行く末はどうなるのかしら。
この田舎町・下関で。 ま、身から出た錆だけど。

私の言うことを素直に聞いとけば、悪いようにはしないんだけど‥‥。
下関GHなど、料理に関しては悪評がぬぐえないホテルだったが、
改善されているのを認めた私が、半ば強引に複数のワイン会の月例会場にしたら、
今や下関の主なワイン会はみんな下関GHだ。
思い上がっちゃいけないが、嚆矢を放ったのは私だったと自負している。
挙句は、両陛下がお泊りになるホテルにまで登りつめた。
これは私の力が及ぶ領域ではない。

2015年1月 9日 (金)

月光

1月7日から10日までの四日間、この地方の日の出は7時21分だ。
一年で最も日の出が遅い時期となる。
乃木浜では日の出を待たず、
打ったボールが辛うじて見えだすのを待って朝トレを開始しているが、
遅く始まった朝トレは遅く終わり、
帰路は渋滞に巻き込まれて、通常の倍以上に時間を費やさなければならない。
今が一番日の出が遅いということは、
朝トレを続けている私には最もありがたくない時期、ということになる。

日没が最も早いのは12月3日から8日にかけての17時04分だったから、
あれから一ヶ月経った今は日没も随分と遅くなって、今日は17時22分。
このところ、日没は一日に1分ずつ遅くなっている。
それに対して日の出の時刻が早まるのは遅々としている。
朝トレを続けていって、帰路の渋滞から解放されるのは、3月の声を聞く頃か。
その頃になって、日の出はやっと6時45分だ。

日の出の遅さを嘆いていると、援軍というものは現れるもので、
それは月光だ。
1月6日が満月だった。
満月から、十六夜、立待月、居待月、寝待月、更待(ふけまち) 月、
と日が経つにつれて月の出が遅くなり、月の入りも遅くなる。
今日は月齢18日の居待月だから、月の出は21時12分、月の入りは9時28分。
朝トレを始める頃は、西の空で煌々と輝いている。
夜明けを待たなくても、月明かりだけで、
外灯のない乃木浜総合公園の外周道路でのウォーキングができる。

ただ、月光だけでは打ったボールが見えないから、
PGのボールを打ち始めるのは日の出の20分前、東の空が明るくなってからだ。
昨日は全天雲で覆われて月光の助けを借りることはできなかったが、
一昨日も今日も、月光のありがたさをいやというほど感じながら外周道路を歩いた。

この月光は、私の部屋の天窓から差し込んでくる。
昨年末の部屋の模様替えでベッドを北側に移したら、
なんと、寝ながらにして月影を眺めることができるのだ。
月が天窓を横切るのは時間にして20分と少し。
一昨日は、月の後を追うように明けの明星が横切った。
今日は、明けの明星が月の露払いだ。
部屋の天窓越しに眺めた月と明けの明星を、乃木浜の外周道路でまた眺める。
これもまた、いい。

来年の、日の出が最も遅いこの時期に、
月の満ち欠けを見ると、新月の頃だ。 日の出も遅ければ月光の助けもない。
ま、来年の事を気にしても始まるまい。

2015年1月 5日 (月)

お賽銭

今朝は今年に入って最高に晴れ上がった雲一つない空だった。
こんな上天気の朝だったのに、なんとしたことか! 寝過ごしてしまった。
目が覚めたのは6時半だから、世間一般で言えば早起きに属するのだろうが、
私の朝トレでは寝過ごしたことになる。
どうやら、昨夜の晩酌が度を越したからと思える。 情けないことだ。
北海道から帰って4ヶ月。 
天気が良いのに寝過ごして朝トレができなかったのは初めてだ。

ボケーッとしているにはもったいない好天なので、
かねてからタイミングをはかっていた四王司山登山をすることにした。 
9時半にスーパーが開店するのを待って巻き寿司とアーモンドチョコを買えば、
準備するものは揃う。
巻き寿司は昼ごはん、アーモンドチョコは何かがあった時の非常食だ。
それ以外の、一寸した登山の用具や飲み物はみんな SARAY 号に整っている。

それでも、
山を登り始めてから持参するのを忘れた物があるのに気付く。
忘れたのはカメラとお賽銭用の小銭入れ。
何度も登っている山だからカメラはどうでもいいが、
山頂の四王司神社にお参りするのにお賽銭がないのはなんとも具合が悪い。
思い返せば、四王司登山ではお賽銭をよく忘れる。
忘れた時は次の登山でまとめてお賽銭を投げいれているが、
本来、お賽銭はその都度差し上げるべきものだ。
学習できていない私が情けない。

四王司登山はかれこれ10カ月ぶりだが、
これまでは50分近くかかっていた登頂が、今回は40分と少し。
4ヶ月欠かしていない朝トレで、随分と脚力がついたのと、
体重が8kg減ったのが大きく作用している。
お陰で、随分と楽な登山だったが、山頂はガス。
展望台からの視界はゼロ、白いガスを眺めて巻き寿司を頬張った。

2015年1月 3日 (土)

年末年始

息子たちの博多へのUターンは、箱根駅伝の山登りを見届けてからとなっていたが、
昼前から降雪が激しくなる兆候を見せたため、
3日間に二度目の瓦そばを食べ終えるとすぐに博多に戻って行った。
降ったところで大した雪ではなかろうが、
九州道の古賀SAあたりの気象変化が心配だから、
時間的な余裕を持って走る方がいいだろう。

馬鹿な親が、あれを持って帰れ、これも持っていけ、と言っても、
これまでは、荷物になるから、と持っていこうとしなかったのに、
今回はどうした変化か、自分からあれを持って帰る、これ持って行く、と言いだした。
これからはその傾向が強まって行くのか?
とまれ、息子たち帰ってきて戻っていくのと軌を一にして、
我が家でも年が往き、年が来る。 今日が3日。 もう正月の気分はない。

この10余年、毎度同じことを繰り返す年末年始だが、
大晦日は大乗寺で除夜の鐘を撞かせていただき、
日付が変わるのを待っての乃木神社での初詣は一番乗り、
忌宮神社では参詣の行列に並ばず、おさい銭を遠くから投げ込んで拝んできた。
今年になって変わったのは、連日の朝トレを正月の三が日も続けたことだ。
快食、快眠、快便だ。
血液検査をするまでもなく各数値はいい状態だろうし、蜂窩織炎も治まった。
体調はいたって快調で新しい年を迎えられた幸せ。


それにしても、年末年始のスポーツは、まったく面白くない。 
ラグビーも、駅伝も、アメフトも、我が母校は全く精彩を欠いていて、
出場チーム名に我が母校の名はない。
高校ラグビーでも我が母校は県代表になれなかった。
箱根駅伝の中継で、山口県出身の選手に声援を送り、
私と同じ苗字の選手を見つけて声援を送ることのなんと面白くないことよ。
ま、こんなときもある。

« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »